LOT.078

佐伯 祐三〈1898‐1928〉
アネモネ

  • 作品カテゴリ: メイン洋画
  • 45.2×37.5cm
  • キャンバス・油彩・額装

  • / 東美鑑定評価機構鑑定委員会鑑定証書付
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  • 予想落札価格: ¥8,000,000~¥15,000,000

〈作品について〉


 洋画家・佐伯祐三はその短くも鮮烈な生涯と、絵画への情熱がこめられた数々の傑作によって、没後100 年を経ようとする今なお、人々の心をとらえている。
 本格的に画業に取り組んだのもわずか4 年ほどという画業の短さゆえに遺された作品数は少なく、さらにその多くを風景画が占めていて、それ以外のモチーフを題材にしたものは限られる。なかでも花を描いた作品は数点しか確認されておらず、今回出品作はそのうちの希少な1 作である。

 赤いアネモネの花を花瓶にいけた姿を描く本作は、その題材や色調から、佐伯がパリで暮らしていた頃に制作されたものと考えられる。とくに1 回目のパリ滞在時に過ごしたリュ・デュ・シャトーのアトリエは、天井から光が差しこみ、静物画を描くのに良い環境だったそうで、雨で写生に出かけられない時などに、画家はアトリエで花瓶の花や画材など身近なものを描いたという。
 本作もおそらくそのような状況で描かれたと見え、外が雨などであればアトリエに入る光も弱く、室内はおのずと薄暗くなり、モチーフは本作のように暗がりからぼんやりと浮かび上がっていたことだろう。対象がはっきりと見える明るい場面ではなく、モチーフの形がようやくわかる薄闇を選ぶところは、華やかなパリの街並みではなく、古びて薄汚れた場末の裏町を描き続けた佐伯らしい視点といえる。

 さらに、うなだれながら咲くアネモネは花の儚さを感じさせ、一方で緑の茎や葉が奔放に伸びるさまを表す躍動的な筆致には生命の力強さが伝わり、その相反する描写からは画家が抱えていた独特の死生観を偲ばせる。そして、花弁にわずかに点じられた白色はまるで蛍の光さながらに暗闇で際立ち、それは命を燃やすが如くひたむきに絵画に向き合った佐伯自身を象徴するかのようで、見れば見るほどに画家の自己が反映されているような不思議な魅力をはなつ。

 佐伯は大阪の古刹・光徳寺の住職の子として生まれ、中学の同級生である坂本勝氏の述懐では、身なりに無頓着でずぼらな性格から「ずぼ」のあだ名で呼ばれていたが、自然のあらゆる物象に対して強い興味をもち、のちに画業に見える天才的素質を垣間見せる少年であったという。

「花——あのずぼ然たる男が、花を、殊に小さな野の花をいかに熱愛したことか。淀川堤の草原に寝そべって、すみれやたんぽぽを頬にあてて喜んだ彼の姿。涙ぐましく思い出される」

 自然を愛し、どんな小さな生命も殺すことを嫌う優しさをもった佐伯は、この頃より従兄の影響で絵を描きはじめ、大阪・梅田にあった洋画塾に入門してデッサン重視の指導を受け、画家を志して入学した東京美術学校でも卓越した素描の腕前を見せた。
 しかし同時期に佐伯の周辺では、美術への興味を拓いた従兄や、父、弟などの身内が相次いで亡くなり、自身も喀血して、生涯にわたって暗い影を落とす死への恐怖にさいなまれることとなる。そんななかでも、結婚や娘の誕生によってひと時の幸せな時間を過ごし、美術学校卒業後には画業の発展を願って、1924 年に妻子をともなってフランスに向かった。

 パリに到着した佐伯は、その年の夏にフォーヴィズムを代表する画家ヴラマンクを訪ねるが、持参をした作品を一瞥するなり巨匠から「アカデミック!」と叱責され大きな衝撃を受けたエピソードは有名である。これを転機に、佐伯は画塾時代から学んできたアカデミズムから脱却すべく、アイボリーブラックやヴァーミリオン、プルシアンブルーなどの原色の絵の具を筆やペインティングナイフで塗りつける荒々しい作風に変貌し、家族や友人たちを驚かせた。この激しさはヴラマンクの影響によるものであるが、それだけでなくゴッホやルオー、シャガールなどさまざまな画家からも刺激を受けて模索し、とくにユトリロの哀愁ただようパリ風景に深く感銘を受ける。
 そして冬に庶民的な下町であるリュ・デュ・シャトーに居を構えると、佐伯は街に出て写生を行い、パリの古い下町を題材にして徐々に独自の表現を確立し、翌年の秋のサロン・ドートンヌで入選を果たす。しかし同時に健康不安も抱えるようになり、心配した家族によって1926 年の春に帰国することとなるが、それでも画家のパリへの思慕は断ちがたく、1927 年に再びパリへ渡った。
 2 度目のパリ滞在では、佐伯は憑かれたかのように猛烈な勢いで次から次へとパリの街を描き出してゆき、重厚なタッチが彩る画面のなかで、木々の枝や壁に貼られたポスターの文字の繊細な線が躍るように飛び跳ね、絵画に対する苦悩と情熱が融合する独創的な世界を創りだした。しかし、制作への没頭によってさらに心身を病み、それでも無理をおして街に出て、再三雨に打たれたことをきっかけに発病し、ついに30 歳の若さでこの
世を去る。

 芸術に心血を注いだ画家の内面と深い精神性が内在し、画面からは対象と対峙する画家のまなざし、筆を走らせる画家の姿を想起させる佐伯作品は、悲劇的な人生と合わせて多くの人の心を打つ。その特色は、アネモネの花を描いた今回出品作にも内包されていると見ることができるだろう。
 陰鬱な空間と花の姿は、常に抱えていた死への恐怖と、巨匠からの批判に打ちひしがれた自己が反映されているようであり、それでいて力強い筆運びは芸術の探求を諦めなかった信念を伝える。
 また、即興的でありながら植物のしなやかさを捉える描写は佐伯の優れた素描力を明らかにし、なおかつ動物のようにうねる様子は、2 度目のパリ滞在で昇華された独特の線描の萌芽をも感じさせるのではないだろうか。

 佐伯が本作を描いたとき、彼自身はまだ、自らの芸術が最終的にどのような境地へとたどり着くのか、また夭折という避けがたい最期を迎えることになるのかを知る由もなかったであろう。ただその瞬間、彼は純粋に創作への情熱に身を委ね、限られた時間を生き抜くかのように筆をとっていたにすぎない。この作品を目の前にしたとき、単に一枚の絵画として味わうだけではなく、画家の生涯そのものを重ね合わせて鑑賞することができる。
 そして、その人生を知れば知るほどに、本作と画家自身の姿とが不思議な一致を見せ、作品の奥行きは一層深まりを帯びていく。若くして燃え尽きた画家の存在そのものを映し出す鏡のように感じられ、深まる魅力を味わうことができるのである。