LOT.145


瀬戸黒茶碗

  • 作品カテゴリ: 茶道具
  • 幅14.8×高7.6cm
  • / 16世紀頃
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  • 予想落札価格: ¥8,000,000~¥15,000,000

[展覧会歴]:『第27回 織部の日特別展 桃山陶を楽しむ -美と技-』No.2として出品 / 同展覧会図録 P9 掲載 (土岐市美濃陶磁歴史館:2015年)

作品について

 2015年、土岐市美濃陶磁歴史館で開催された「第27回 織部の日特別展 桃山陶を楽しむ・美と技-』にNo.2として出品され、展覧会図録にも掲載のある本作品。底から口縁部までほぼ垂直に立ち上がる典型的な瀬戸黒茶碗の様相を呈しており、焼成途中で引き出されて漆黒に発色した
釉薬が、幽玄な雰囲気を醸し出している。葉は高台周辺を三角形に残して施されており、底部は輪高台が低く削り出されている。高台脇に溶着痕があることから、この茶碗の上下に同様の茶碗を重ねて焼成していたことがわかる。


瀬戸黒の起源

 瀬戸黒茶碗は、安士桃山時代、織田長が天下統一を図った天正年間に登場することから「天正黒」、窯から引き出して急冷することで鉄を黒<発色するため「引き出し黒」とも呼ばれている。
 瀬戸黒の呼称は「瀬戸より来た黒い茶碗」の意であり、黄瀬戸と同じ頃に焼造されたと考えられているが、調査の結果、現在ではその生産地が美濃に限られたものであったことがわかっている。主に食器が作られた黄瀬戸に対して、瀬戸黒の殆どは茶碗であり、初期の瀬戸黒は、丸みのある腰をもち、高台は高めで、長次郎が手がけた楽茶碗のような姿をしている。まだ中国陶磁を写した製品がほとんどであったこの時代に、日本独自のデザインで作られた瀬戸黒は革新的なやきものであったと言え、瀬戸黒は新しい茶道具を求める人たちの需要に答えて次々とユニークな姿へ変化していったという経緯を持ち、天正時代(1573~1592)に大黒で焼かれた切立形の茶碗で黒一色のものが「瀬戸黒茶碗」、慶長時代(1596~1615)
に大窯で焼かれた形の茶碗で黒一色のものが
 「織部黒茶碗」、登窯で焼かれた香形の茶碗で、黒釉が左右に塗り分けられ、余白の部分に鉄絵をつけ長石釉を施したものが、「黒織部茶碗」と呼ばれている。いずれにしても、500年以上前に茶の世界でわずか30年間しか作されなかった幻の器「瀬戸黒」は、茶道の世界で侘び寂びの日本独自の美意識の中で独自の価値観を持つ茶碗であり、まさに桃山時代を代表する茶碗の一つであるといえよう。


形状としての特徴

 瀬戸黒をそれ以外の引き出し物から区別する特徴としては、その直角に張り出した腰という形状が挙げられるであろう。また、その高台は極端に低く作られており、最初期のものを除いてほとんどの茶碗において釉薬は高台の部分だけ掛け外されている。この高台付近の釉薬の掛け方については、多角形に塗られたものの他、張った形、丸みを帯びた形、両方を併せ持ったもの、扇状などバリエーションがあり、こうした施の輪郭線も見どころの一つであるといえ、高台そのものの作りについては、削り出して作る「削り高台」と、紐状の土を付けて形作る「つけ高台」の両方が存在している。見込みや側面に窯から引き出す際につけられる鉄バサミによる引っ掻き傷が見られ、口縁部のゆるやかな起伏は「山道」(やまみち)、もしくは「五山」とも呼ばれている。


制作工程

 瀬戸黒はその吸い込まれるような黒が特徴である。同じ薬を使用して通常通り、黒で作品を仕上げると色は艶のない茶色のようになるが、焼成の途中で1,000度以上になった窯から作品を引き出して水に浸けて急冷すると鉄分を含んだ釉薬が深みと艶のある黒色に仕上がる。この窯から引き出されるという工程を経るために瀬戸黒は「引き出し」とも呼ばれ、この制作工程は、現在では楽などにも応用されているが、その出自は瀬戸黒にあるといえる。