LOT.076
岡 鹿之助〈1898-1978〉
三色すみれ
[掲載文献]:『岡鹿之助作品集』 P222 No.224 掲載(美術出版社:1974年)
[展覧会歴]:『岡鹿之助展』No.84 として出品 / 同展覧会図録 P96 掲載 (ブリヂストン美術館:1984年)
〈作品について〉
岡鹿之助は、独特の点描技法による柔らかな質感、秩序ある構成から生まれる静謐さ、そして自身がもつ典雅な風格と知的で繊細な感性によって、気品と抒情にあふれる絵画世界を花開かせた。
岡作品に描かれるモチーフは種類がそう多くなく、主要なものとして古城や雪景色、花などがあげられるが、なにより色鮮やかな三色すみれ(パンジー)は画家を代表する存在といっても過言ではないだろう。今回出品作《三色すみれ》はタイトルのとおり画家の代名詞的な存在を描き、画家の魅力を存分に伝える逸品である。
薄紫、赤、濃い紫と色とりどりの三色すみれが金彩青釉の壺にいけられ、あでやかな色合いはニュアンスのある緑色の背景によって品のある趣をまとい、木調の台面が画面に安定感をもたらして、画家らしい落ち着いた雰囲気を醸しだす。花と壺のみを描くシンプルな構成であるが、画面にはたしかな充実感があり、それは画家の優れた表現力から生み出されている。
本作にも見える点描技法は、画家をもっとも特徴づける表現であった。こまやかに絵の具をキャンバスに置き、色を混ぜ合わせないことで色彩は澄み、緻密なグラデーションでモチーフの形態を自然に引き立て、独特の筆触によってベルベットのような質感が表出する。それでいて平坦なテクスチャーとならないように、しなやかな花びらや、つややかで硬質な陶器、奥行きを感じさせる背景など、多彩なマチエールで鑑賞者の目を楽しませる。
加えて、構図の妙も見逃すことはできない。爛漫と咲き豊かなボリュームをもつ花の下から、壺の長い首がすんなりと伸びて丸く張った胴部へとつながり、引き締まった底部へとつづく。その大小をくりかえすフォルムは画面に秩序あるバランスを生み、またリフレインという要素は音楽的なリズムも感じさせ、作品にさらなる風韻を与えているだろう。そこには、無類の音楽鑑賞家でもあった画家の感性が息づいており、画家ならではの美的世界が広がっている。
岡鹿之助は劇評家・岡鬼太郎の長男として東京で生まれ、幼い頃から画家になることを意識すると、父の紹介で東京美術学校教授をつとめる洋画家・岡田三郎助に師事した。その後、美術学校に進学・卒業すると1924 年にフランスへ向かい、その後15 年間にわたって当地で過ごした。
パリでは師の紹介で藤田嗣治と知り合い、彼の勧めで渡仏してすぐの1925 年秋のサロン・ドートンヌに初出品・入選を果たすが、その展覧会場で本場フランスの画家たちの作品と見比べ、そこにある歴然とした差に気づく。岡曰く、本場の画家たちは腕前に優劣はあろうとも
「絵の具はカチッと画布について、色の輝きも、冴えも、張りもあり、指で画面をたたけば、はねっかえす強靭さがあった。それに較べて、私の絵はふれればグサリとくずれるばかりの脆弱さである」
と自身の未熟さに愕然とし、この時から顔料やキャンバスについての研究を始めた。油画技術以外にも、街なかにある何百年も経た石造りの建物や石畳などがもつ、がっしりとした構造と秩序だった美しさを発見し、さらに西洋の古典絵画に見られる堅牢なマチエールと構図に興味をひかれる。それらの経験が画家のなかで醸成され、堅固な構成と繊細な点描表現による、深く穏やかで構築美あふれる絵画世界を打ち立てた。
点描技法を用いた画家といえば、岡のみならず、フランス新印象派のジョルジュ・スーラが挙げられるが、その目的は異なることを岡自身が語っている。
「点描のような具合にやっていると筆触に私のリズムが乗ることだ。私はフランスでスーラの手法を知ったが、初めのころはスーラについて何も知らなかった。他人から手法が似ていると言われて注意するようになったのだ。しかし私がスーラから学んだものは、点描による色の分析ではない。画面の構成と、色のリズムを教わったのである」
19 世紀後半に活動したスーラの点描技法は、キャンバス上に並置した2 色を人の網膜上で混合させて別の色に見せるという光学的理論を取り入れたものであったが、岡にとっての点描は、サロンで痛感した色そのものの冴えやニュアンスを表現するための技法であり、さらには生来の音楽的素質にもかなうものでもあった。
その後、日本に戻ってしばらくしてから、岡は好んで三色すみれを描きはじめる。花というモチーフは、明るくにぎやかな色で、曲線の多い構成をしたいときにちょうど良い題材で、単純でフォルムのはっきりとしたものが好ましいと画家は語るが、さらに言葉を借りれば、ルノワールが花といえばバラばかりを描き、晩年のルドンがアネモネを数十点描いたように、自身にとって三色すみれはとくに思い入れのある存在であったらしい。
「ルノアールはバラに、ルドンはアネモネに自分を託したように、絵描きは自分を託して表現するのにもっとも具合のいいものをつかまえることに努力します。私の場合、三色すみれなどもそれに似ているのですよ。
どこにも咲いていない、私の三色すみれを咲かせることができたら、死んでもいいと思っていますがね。もっとも、そんな絵が描けたらいよいよ生きたいと思うかもしれません」
そんな特別なモチーフである三色すみれを題材にした《遊蝶花》(1951 年作)で、岡は翌年に芸能選奨文部大臣賞を受賞し、その後も画壇で大きく活躍した。1968 年に描かれた今回出品作も、点描表現をいかんなく発揮し、堅実な造形と静穏な情感を心ゆくまで味わうことができる。そして本作がもつ、神秘性をもそなえた理想的な美しさこそが、画家が三色すみれに託していた思いであったのではないかと思わせる、尽きることのない魅力をそなえた1 作である。