LOT.055
棟方 志功〈1903-1975〉
運命版画柵「夕宵の柵」
[参考文献]:『棟方志功全集 第九巻 想いの柵 (1)』No.163 及びP192, No.115 (講談社:1978年)
『棟方志功板画全柵』P201 (講談社:1985年)
〈作品について〉
倉敷絹織( 現・クラレ) の創業者であり大原美術館の創設者である大原孫三郎氏の子息、大原総一郎氏が世界で初めてビニロン (PVA 繊維、ポリビニルアルコール繊維) を工業化する際に、棟方の当時の疎開先であった富山の家を訪れ、大きな繊維の世界を作るための大志を板画にするように依頼する。棟方がベートーベンの「歓喜の歌」のような作品にしたいと申し出たところ、大原総一郎氏もベートーベンが好きであることがわかり、 交響曲第5 番の「運命」に因んで作品を制作する ことになると、大原総一郎氏は作品用の板木と共 にニーチェ著の「ツァラトゥストラはこう言った」を送り、大原総一郎氏は「日本のため世界のため、 ビニロンをつくらねばならない。そのため導きの火がいるのだ。運命という題下に、ツァラトゥス トラは超人を中心人物にしているのだから、超思想というような大きなものを板画でつくってほし い」と棟方に告げたという。
棟方は大原氏から贈られた「ツァラトゥストラ はこう言った」を読むと、そこに大きな世界を見 出し、これから創り出す作品が細かなものにならないように、四分の丸刀一本だけを用意し、他の 道具は使用しないように縛り、二日間熟考し、三日目に作品を彫り始めた。
制作工程は棟方の他の作品とは異なり、まず板木一面を真っ黒に塗り、丸のみによって、板木に直接下絵を作るという、いわば、エッチング技法 のようなプロセスを木版画で用いた。つまり、下書きなしでいきなり板木を彫り始めるため、途中で間違えてもやり直しがきかないという、高い精神力と集中力が求められ、また、書道のような一 回性を有した制作工程であり、それ故に、棟方の強い想いが作品にのせられたものになっている。
本作品「夕宵の柵」はこの「運命版画柵 (「黎明の柵」「真昼の柵」「夕宵の柵」「深夜の柵」)」 のうちの3 番目の柵であるが、画面上、行儀よく 正座するように座る裸婦を円状に配置することで、 天で遊んでいるような雰囲気をイメージしながら も、夕宵の静まってゆく静止の姿を描き出そうと したものである。棟方の描く裸婦としては大変珍 しい、正座するような4 人の裸婦たちが取り囲む のは、日本の評論家・翻訳家・劇作家・小説家で あり、ニーチェ全集の翻訳も成し遂げた生田長江 によって訳された「ツァラトゥストラはこう言っ た」の一説である。
( 汝、大なる星よ。故によりて照さるるところの ものなくば、何の幸福なることか汝にあらむ。十 年の間を、汝はこの我が) 洞にのぼり 来りき。我と、我が鷲と、また 我が蛇とのあるにあらずば、汝 は其光と其道とに倦じた りなるべし。 されど我等は朝毎に汝を 待ち、汝の横溢を受け、その事 の故に汝を祝福せり。 見よ。< わが、> 我自らの叡智 に倦じたるは、あまりに密を集 めたる多くの密を ( 集めたる密峰のごとし。我はこれを得むとて差 し伸べらるるところの手をもとむ。)
1951 年の3月5日、棟方は親交の深かった文 芸批評家の安田與重郎と二人で神戸の湊川神社へ吉田智朗権宮司を訪ねたが、あいにく吉田智朗権 宮司が出張中につき不在であったため、藤巻正之 宮司と面談することになる。しかしながら、この 偶然の面談により棟方と藤巻宮司との親交が始ま り、その後、何度も湊川神社へ足を運び、湊川神 社内尚志館の襖と衝立に「御楠樹の図」、外拝殿 壁画「獅子狛犬」を揮毫しており、本殿天井画の中には棟方の「運命板画柵」が現在でも展示され ている。
作品を近くで見ると「ツァラトゥストラはこう言った」の一説が目に入り、少し距離を置くとその文章を取り囲む4 人の裸婦に目が行く。そして、 さらに離れた距離をとると、まるで禅における書 画の一つである円相を想起させる様相を呈してい る。円相は「円窓」と書いて「己の心をうつす窓」 という意味で用いられることもあり、臨済宗の位 牌や塔婆の1 番上に書かれることが多く、悟りや 真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現したものとする向きもあるが、この作品の構成は、 意識的であれ無意識的であれ、棟方志功、画家自 身を体現するかのような作品となっているといえ るであろう。
「偉大なる天体よ!もしあなたの光を浴びる者たちがいなかったら、あなたははたして幸福といえるだろうか!
この十年というもの、あなたはわたしの洞穴をさしてのぼって来てくれた。もしわたしと、わたしの鷲と蛇とがそこにいなかったら、あなたは自分の光にも、この道すじにも飽きてしまったことだろう。
しかし、わたしたちがいて、毎朝あなたを待ち、あなたから溢れこぼれるものを受けとり、感謝して、あなたを祝福してきた。
見てください。あまりにもたくさんの密を集めた蜜蜂のように、このわたしもまた自分の貯えた知恵がわずらわしくなってきた。いまは、知恵を求めてさしのべられる手が、わたしには必要となってきた。
わたしは分配し、贈りたい。人間のなかの賢者たちにふたたびその愚かさを、貧者たちにふたたびおのれの富を悟らせてよろこばせたい。
そのためにわたしは下へおりて行かなければならない。あなたが、夕がた、海のかなたに沈み、さらにその下の世界に光明をもたらすように。あまりにも豊かなる天体よ!
わたしも、あなたのように没落しなければならない。わたしがいまからそこへ下りて行こうとする人間たちが言う没落を、果たさなければならぬ。
では、わたしを祝福してください。どんな大きな幸福でも妬まずに見ることのできる静かな眼であるあなたよ!
満ち溢れようとするこの杯を祝福してください。その水が金色にかがやいてそこから流れだし、いたるところにあなたのよろこびの反映を運んで行くように!
ごらんなさい!この杯はふたたび空になろうとしている。ツァラトゥストラはふたたび人間になろうと欲している。」
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フリードリヒ・ニーチェ著『ツァラトゥストラはこう言った ( 上)』
ツァラトゥストラの序説より
( 岩波書店:2003 年)