LOT.089

Léonard Foujita (藤田 嗣治)〈1886-1968〉
La Partie de Colin-Maillard (目隠し遊び)

  • 作品カテゴリ: メイン洋画
  • 65.0×54.0cm
  • キャンバス・油彩・金箔・額装
  • 右下にサイン「嗣治 T.Foujita」・裏面に署名、年記「於巴里 藤田嗣治 T.Foujita 1918」 / 1918年
    / 藤田君代鑑定証書付・東京美術倶楽部鑑定委員会鑑定証書付・Gilbert Pétridès鑑定証書付
  •  
  • 予想落札価格: ¥45,000,000~¥65,000,000

[掲載文献]:
『LEONARD-TSUGUHARU FOUJITA (ACR Edition) Volume 2』P166, No.18.92 掲載 (Sylvie et Dominique Buisson:2001年)

[展覧会歴]:
『藤田嗣治と愛書都市パリ 花ひらく挿絵本の世紀』No.LFP-02として出品 同展覧会図録P47掲載 (渋谷区松濤美術館・北海道立近代美術館:2012年)
『藤田嗣治 没後50年』No.16として出品 同展覧会図録P61掲載 (東京都美術館・京都国立近代美術館:2018年)

[来歴]:
個人蔵 (パリ)
Galerie Gilbert et Paul Pétridès (パリ)
ギャラリースズキ (ニューヨーク)
個人蔵 (東京)

〈動画〉下記のURLをコピーし、新規タブのアドレス欄にペーストして御覧ください。
https://reurl.cc/kddZLr

--------------------------------------

〈作品について〉

 2018年にマイヨール美術館にて「Foujita - Peindre dans les années folles」が開催され、2019 年には「ジャポニズム2018」内、パリ日本文化会館にて「藤田嗣治:生涯の作品 (1886 – 1968 ) 展」が行われたことによりフジタ作品への世界的な注目は以前にも増して高まることとなった。マーケットについていえば、これらの展覧会の前後に大きな動きを見せており、2018 年にはBohnams にて作品「La fête d'anniversaire」( 図1 参照)が10 億円を超える価格で売却され、1990 年以来、およそ20 年ぶりとなる作家のレコードを樹立した。フジタ作品のオークションでのレコードを調べると上位10 点のうち半数の5 点が2016 年以降に更新されたものであり、更にその内の3 点は昨年2019 年に更新されたものである。また、落札金額上位10 作品の全てが国外にて売却されていることからも世界マーケットのフジタ作品に対する注目の高さは窺えるが、この大きな流れのきっかけとなったのは、2018 年に東京都美術館および京都国立近代美術館におけるフジタ史上最大の回顧展といわれた「没後50 年 藤田嗣治展」の開催であろう。展覧会は8 つの章からなる大規模なものであったが、「La Partie de Colin-Maillard ( 目隠し遊び) 」は、その第2 章「はじまりのパリ - 第一次世界大戦をはさんで」の中で紹介され、展示されていた作品である。
 フジタが東京美術学校を卒業して、パリへ初めて訪れたのは1913 年、27 歳の頃のことである。渡仏してすぐに出会ったのが、キュビズムの創始者、或いは20 世紀を代表する画家パブロ・ピカソであった。この頃までに既に大きな影響力を誇っていたピカソの手法を、フジタはある一時期において研究することとなるが、その奇跡的な邂逅の際に最も注意を引いたのは、実はアトリエで見た税官吏アンリ・ルソーの作品であり、いくつかの初期のフジタ作品には如実にその影響が表れている。また同じ頃、フジタはモディリアーニやスーティン等とも親しく付き合うようになるが、中でも新天地パリにおける最重要人物の一人として挙げられるのが、第二の妻・フェルナンド・バレーである。このフェルナンド・バレーのコネクションと尽力により、フジタは1917 年にパリのシェロン画廊にて個展を開くことができ、これがフジタのパリにおける大躍進の大きなきっかけとなっている。1917 年にシェロン画廊にて水彩画をメインとした個展を2 回開催し、1918 年の春から夏にかけてはフェルナンドやモディリアーニ、スーティンらと共に南仏カーニュにて疎開生活を送り、その間に晩年のルノワールも訪れている。1918 年の11 月11 日に第一次世界大戦が終戦し、ドワンベス画廊での作品売却により経済的に復調すると、フジタは再び油彩画を描き始めることになり、本作品はおそらくこの第一次世界大戦終戦後から同年の年末までに描かれた作品であると推測されている。

 フジタの残した多くの作品がそうであったように、本作品もまた三角形の安定した構図をもっており、色彩のバランスも絶妙である。中央に描かれた女性は目隠しをされ、周りを取り囲む女性たちを探す。一番左に描かれた赤い服を着た女性は手を叩き、青い服の女性は挑発的に呼び込んでいるようである。また、緑色の服の女性は中央の女性に触られまいと身を小さくし、一番右の赤い服の女性は冷静に距離を取っている。作品のタイトルにもあるように画面上の5 人の女性たちは所謂「目隠し遊び」をしているようであるが、「目隠し遊び」というモチーフについていえば、フラゴナールやゴヤだけではなく、日本では重要美術品となっている鳥高斎栄昌の「めんないちどり」も例として挙げられるほど古くから世界的に使用されているテーマであり、且つ、現代の我々にも馴染みの深い遊びである。
 画面にはギリシア神話の女神を想わせるような優雅な動きがみられ、左右の女性に同色の赤色が使われることによって色彩面での均衡も保たれている。この時期の多くのフジタ作品の色彩にみられる「淡さ」は、その作品の多くが紙を支持体とした水彩画であったことが原因としてあげられるが、キャンバスに描かれた本作品ではより下地に色が乗り、発色の良い油絵の具が使用されているため、その色彩の鮮やかさにも目を惹かれるであろう。また、作品に決定的な印象付けを与えているのは、画面に施された金箔である。
 1918年前後のフジタ作品の中に金箔を使った作品はいくつか見られるが、そのほとんどが当時のフジタの経済状況の関係からか紙の上に描かれて作品であったが、前述したとおり、本作品ではキャンバスの上に金箔が使用されている。この作品に金箔を使うという表現手法は西洋の美術の中では古くは中世キリスト教絵画やイコンなどがあり、また期せずして本作品が制作された1918 年に没した世紀末ウィーンを代表するグスタフ・クリムトもまた金箔を作品の中に使用した画家であった。クリムトの場合、その金箔の使用により画面に官能的な輝きを付与していたところに大きな特徴があったが、フジタの意図はそれとは異なるようであり、やはり我々日本人にとっては女性たちが立っている部分の曲線と金箔が剥げた様に見せられている黒い部分とが相まって、琳派の画風、特に尾形光琳の「紅白梅図屏風」を思い起さざるを得ないである。
 人物の描かれ方は当時付き合いのあったモディリアーニのようであり、渡仏後間もないフジタが熱心にルーブル美術館通い模写したギリシャの壺絵のようでもあるが、フジタが幼少期から親しんできた浮世絵、特に喜多川歌麿からの影響は大きいように思われる。左手の描写などは明らかに浮世絵のそれから来ていると考えられるが、この西洋古典と東洋古典ともとれる要素を持ちながらも、作品に決定的な画家性をもたらしているのは、人物の輪郭や髪の毛の描写などに見られる、フジタにしか成しえない面相筆による筆さばきであり、まさにその筆さばきこそが、「筆一本」で当時アートの中心地であったパリのコレクターを唸らせたフジタの力量を証明するものであるといえよう。
 1918 年当時のフジタ作品の中では大変珍しいキャンバス・油彩・金箔という「技法」、普遍的でありストーリー性のある目隠し遊びという「作品テーマ」、100 年以上前に制作されたとは思えないほどの整った「コンディション」、没後50 年藤田嗣治展及び藤田嗣治と愛書都市パリへの出品、フジタ最後の妻・藤田君代氏の鑑定書付という「来歴」、渡仏後に苦労したフジタがパリの画壇で名を上げ始めた1918 年という「制作年代」、そのどの要素をとっても、「La Partie de Colin-Maillard ( 目隠し遊び) 」は非常にすぐれた作品であるといえ、その画面の前に立つたびに常に新鮮な驚きや発見を私たちに与えてくれる。現代においても全く古さを感じさせないどころか、常に語るべき要素を与えてくれる本作品は、「何にもとらわれない、自分の派を開くようでなければ駄目だ」と語ったフジタの言葉通り、オリジナリティに溢れており、母国を離れたフジタが世界に通用すること、「世界のフジタ」であることを世に知らしめた一枚である。