LOT.096

歌川 広重
東海道五十三次 全五十五枚揃

  • 作品カテゴリ: 浮世絵
  • Richard Lane 証明書付
    / 裏打ちされた作品有
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  • 予想落札価格: ¥7,000,000~¥12,000,000

〈作品について〉
 
 歌川広重による「東海道五十三次」は、起点である「日本橋」と終着点の京都「三条大橋」及びその間にある53の宿場が描き出された55枚からなる作品である。東海道は律令時代に設けられた五畿七道の一つで、1600年に徳川家康が天下統一のために全国の街道整備に着手し、1601年には「宿駅伝馬制度」が敷かれることとなる。この「宿駅伝馬制度」では、街道沿いに宿場を設け、輸送のために必要な人馬を宿場が提供することになっており、輸送の範囲は隣接する宿場までとされていた。そのため、宿場に到着するたびに輸送中の荷物は積み替えられることとなり、日本橋から三条大橋への輸送であれば到着までに53回の継ぎかえが必要であったことから「五十三次」と呼ばれるようになっている。

 歌川広重(安藤広重)は歌川国芳と同じく寛政9年に八重洲河岸の火消屋舗に生まれ、浮世絵師を目指し歌川豊広の門に入る。19歳になる頃に「一遊斎広重」の名をもらい天保2年頃に「一幽斎」と改めたうえで作品「東都名所」を発表する。その後、正式に画業へ専念することとなり、その雅号は「一立斎」へと改名される。本作品「東海道五十三次」は広重の最初の大作であり、その名を世間に轟かせる大きなきっかけとなった作品である。天保4年から刊行が開始される本作品を契機に、広重は風景画の巨匠であった北斎をライバルとしながらも目覚ましい活躍を遂げ、天保5年に全55枚が完成する。当初は保永堂(竹内孫八)と僊鶴堂(鶴屋喜右衛門)という2つの版元が共同で制作していたが、次第に保永堂のみが作品を刷り続けるようになったことから、天保5年に完成した作品は通称「保永堂版」と呼ばれている。また、この「東海道五十三次」は当時、大きな反響を得たため、「保永堂版」の他に天保13年頃の「江崎版(行書版)」、嘉永初年の「丸清版(隷書版)」等のバリエーションが生まれるが、本作品は最初に制作された「保永堂版」の「東海道五十三次」となっている。

 広重は生涯に8,000点あまりもの版画を制作しており、その価格は当時の浮世絵師の中では最も高額な部類に入っていたようである。特に「東海道五十三次」は江戸の土産として全国に普及し、多くの人々に珍重されてきたものであることが知られており、日本独自の自然の美に対する目線と表現で描き出された55枚の作品は、今や日本だけではなく、諸外国の人々にも愛されている名品となっている。
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